Otonowa
Masaru Koga Saki Kono Akira Tana Art Hirahara Ken Okada

バンド「音の輪」の始まりは1992年にアキラ・タナが結成したグループ、「アジアン・アメリカン・ジャズ・トリオ」のアルバム「サウンド・サークル」に由来します。このアルバムは日本のキング・レコードにより製作され、米国でもエヴェイデンス・ミュージックを通じて発売されました。このアイデアが20年後になって復活し、現在の「音の輪」につながることとなりました。

震災から数ヶ月が経ち、カリフォルニア州のフェアファックス町にあるアートギャラリー「Elsewhere」で、オーナーの羽生礼子さんが被災者のためのチャリティーコンサートを行えないかとアキラ・タナに依頼した時、アキラの中で「音の輪」という名前でグループを再結成しようというアイデアが浮かび、それによりこのバンドがスタートしました。その後震災1周年の時にもElsewhereでコンサートを行い、数々のコンサートを経て、まだ復興に向けた長い道のりを歩んでいる東北地方を訪問してコンサートやワークショップを行うために公演旅行を行うこととなり、2013年から毎年日本と東北へのツアーを行っています。

このバンドのサウンドの基盤はアメリカン・アートとしてのジャズですが、メンバーは日系アメリカ人により構成されています。アメリカで学んだジャズ語法をもとに、自分達のルーツである日本の音楽をジャズに基づいた形式で演奏する - それがこのバンドのコンセプトです。2013年1月に録音されたCDでは、日本の伝統的な民謡や童謡を題材として、アメリカン・ジャズにとっての伝統的な形式、すなわちマイルス・デイビスが演奏した「Bye Bye Blackbird」や、ジョン・コルトレーンによる「My Favorite Things」などに見られるアレンジや奏法を取り入れ、さらに曲によっては尺八や団扇太鼓(うちわだいこ)などの日本独自の楽器を使って演奏されました。

このアプローチは、アメリカン・ジャズがいかに様々なアメリカ国外の文化を取り入れうる柔軟性を持っているかを示しています。同様のアプローチは過去にも行われてきましたし、特段目新しいものではありませんが、「音の輪」においては、特にアメリカのジャズ環境の中で研鑽を磨いてきたメンバーが自分達の民族的背景を振り返り、日本の文化を再発見しようと努め、それをジャズ的なやり方で実践していることに特徴があります。